4月15日は米大リーグで恒例となっている、ジャッキー・ロビンソン・デーです。初の黒人大リーガーとなったロビンソンの功績をたたえる記念日で、在籍したドジャースをはじめ全30球団の選手たちが背番号「42」のユニホームでプレーします。

そのドジャースに大谷翔平投手が入団したこともあり、偉大な先駆者であるロビンソンのことをもっと知りたくなりました。そこで、私は黒人大リーガー第1号の足跡をたどろうと、今年1月にロビンソンゆかりの地を訪ねました。

まずはカナダのケベック州モントリオール。1945年10月23日、米球界に衝撃のニュースが走りました。ドジャースの下部組織であるモントリオール・ロイヤルズがロビンソンと契約。ロイヤルズで活躍すれば、メジャーへの昇格が約束されました。ドジャースのブランチ・リッキー会長は、人種差別が深刻でないカナダなら、ロビンソンも気楽に過ごせることを願ったからです。

しかし、ロイヤルズのクレイ・ホッパー監督は人種差別が激しい米南部出身。「自分を黒人がいるチームの監督にしないでくれ」と言いました。当時、市内にあったロイヤルズの本拠地デロミアースタジアム跡地に行くと、バックネットのところにホームベース型の銅版が掲げてありました。ただし、フランス語のため、何と書いてあるか判読はできませんでしたが、この球場でロビンソンがプレーしたのだと想像できます。

その後、1976年モントリオール夏季五輪の主要会場で、77年エクスポズ(現ワシントン・ナショナルズ)の本拠地球場となったオリンピックスタジアムに行くと、正面入り口近くにロビンソンの銅像がありました。まさしく、この地から栄光と苦闘の歴史が始まったのです。

次に米東部ニュージャージー州ジャージーシティーを訪問しました。1946年4月18日、当時ジャイアンツ傘下3Aチームの本拠地だったルーズベルトスタジアムでロイヤルズのロビンソンがデビュー。いきなり3ラン本塁打を含む4安打2盗塁などの活躍でチームの勝利に貢献しました。ニューヨーク・タイムズ紙は「全ての人々にとって大きな1日となった。特殊な状況のもとで素晴らしい偉業だ」とたたえました。

当時、ドジャースも公式戦を行ったという球場跡地はアパート群になっていて、これといった名残はありませんでした。それでも市街地にロビンソンの銅像が立っていて、偉業をたたえていました。

その年、ロビンソンは試練に耐え、結果も残し、チームの優勝に貢献。最終戦の後、本拠地モントリオールの人たちは球場を出ようとするロビンソンを大喜びで、愛情をもって追い回したと言います。そして、ついに翌年4月15日、初の黒人大リーガーとなりました。

最後に、ニューヨークのマンハッタンにあるジャッキー・ロビンソン博物館を訪問しました。2022年9月に初の黒人大リーガーの生涯を紹介した博物館として正式オープン。およそ4500点の遺品や4万点の写真などが飾られていて、一日中いても飽きないぐらい見応えがあります。

開館したときに息子のデビッドさんが「業績の偉大さだけでなく、直面した課題や、これから直面する課題にも目を向けて下さい」と呼びかけたように、アメリカ社会における人種差別問題にも着目することができます。

偉大な黒人大リーガー第1号のロビンソンと同じく、いまや世界最高のスーパースター大谷も新たな歴史をつくることでしょう。

【大リーグ研究家・福島良一】(ニッカンスポーツ・コム/MLBコラム「福島良一の大リーグIt's showtime!」)

カナダのモントリオールにあるオリンピックスタジアム
カナダのモントリオールにあるオリンピックスタジアム
カナダのモントリオールにあるオリンピックスタジアムの正面入り口近くにあるジャッキー・ロビンソンの銅像
カナダのモントリオールにあるオリンピックスタジアムの正面入り口近くにあるジャッキー・ロビンソンの銅像
米東部ニュージャージー州ジャージーシティーにあるジャッキー・ロビンソンの銅像
米東部ニュージャージー州ジャージーシティーにあるジャッキー・ロビンソンの銅像
米ニューヨークのマンハッタンにあるジャッキー・ロビンソン博物館
米ニューヨークのマンハッタンにあるジャッキー・ロビンソン博物館
米ニューヨークのマンハッタンにあるジャッキー・ロビンソン博物館には3A時代のユニホームも飾られている
米ニューヨークのマンハッタンにあるジャッキー・ロビンソン博物館には3A時代のユニホームも飾られている