「突発的な思い付きでやったけど、みなさんが楽しんでくれてそれが良かった」
陸上男子400メートル障害の日本記録保持者、オリンピックに3度出場した為末大さんは笑顔で振り返った。
4月6日の土曜日、桜が満開となった東京・日本橋。多くの人でにぎわう街中で「第1回パン食い競走」なるイベントが。為末さんが、あんぱんの木村屋總本店(木村光伯社長)とタッグを組み、大人も子どもも一緒になって本気で本気のパン食い競走を実施した。
■14歳金メダル岩崎恭子さんも挑戦
コレド室町仲通に30メートルのコース(4レーン)を設置。コース中央に吊された袋に入ったあんぱんを口でつかみゴールしたタイムを競う。そして各自がゲットしたあんぱんは、牛乳とセットでレース後に食する。3時間に及ぶイベントには飛び入り大歓迎で、約250人もが参加。お母さんに手をひかれた幼児から大人まで、老若男女がそれぞれの全力をぶつけていた。
吊されたあんパンを口でくわえようとしても、くるくる回って思うようにはいかない。自然と笑みがこぼれ、周囲からは声援が飛ぶ。明るい雰囲気が通りには充満していた。
主催した為末さんと木村社長もレースに出場。それぞれ7秒台という好記録をたたき出した。また、競泳女子200メートル平泳ぎで14歳にして1992年バルセロナ五輪の金メダルをつかんだ岩崎恭子さんも挑戦した。
■岡部航一君6秒57練習の成果出た
最速タイムを記録したのは、東京都在住の13歳、岡部航一君。陸上も習っているというスポーツ大好き中学生は、スタートで飛び出し、あんぱんもその勢いのまま1回目のチャンレジでキャッチ。すかさずラストスパートにつなげた。
6秒57。圧倒的な速さで初代チャンピオンに輝いた。
岡部君は「お母さんにカレーパンを買ってもらって、10分間練習してから本番に臨みました。(吊されたパンが)回っちゃうところの、揺れるのが一番小さいところをつかんだ方が取りやすい。真下とか真上とかでなく、横をガブッといきました」と勝因を口にした。
世界選手権で2度銅メダルを獲得し「走る戦略家」と言われた為末さんも、思わず「賢いねー」と声を上げて笑った。
そして「足の速さだけで勝てない。いろんな要素が入っていておもしろいなと。スポーツはどうしても能力がある人だけが勝っちゃうのがあるので、こういう偶然性があるのはおもしろい」。
■遊び心あるスポーツの入り口作り
日本独自の文化「パン食い競走」を週末のストリートに持ち込み、イベントとした豊かな発想力は見事というしかない。今回に至る背景について、こう明かした。
「前のオリパラ(21年の東京五輪パラリンピック)が終わった時に、スポーツの競技人口が減っているなと感じた。そこでスポーツの入り口をどうやるのかと考えたところ、すべてのハードル下げないといけないと思った。それで1つ、このパン食い競争をやってみようと。去年は市民400メートルハードルというのをやったんです。ハードル一番低くして。そういうのをたくさんやれたらいいなと。(スポーツの入り口への)一環という感じです。僕はこういうクスッ笑うようなおもしろい入り口をつくるところをやりたいな、と」
■こども食堂に参加者数のあんぱん寄付
飲み仲間の木村社長に提案し、とんとん拍子で話はまとまった。為末さんと同じ1978年(昭53)生まれ。創業155年という老舗の暖簾(のれん)を守る7代目は、充実した笑みを浮かべながら話した。
「思っていた以上に、みなさんに楽しんでいただけて、小さいお子さんから大人まで一緒に体験できるイベントだなと思いました。こんなに気軽に参加できて、わいわい楽しめるというのは、想像以上にいい反響が得られた。小さいお子さんからも“あんぱん好きになった”と言われて、あんぱん屋としてやりがいのあるものでした」
昭和時代の運動会ではよく見た光景だが、今やパン食い競走は衛生面の問題から学校行事では絶滅している。ただ、今回のイベントにはさまざまな社会的意義がある。開催した中央区のこども食堂に参加者と同じ数のあんぱんを寄付する。木村社長が続ける。
「今日は日本橋という中央区のエリアでしたけど。パン食い競走でいろんな人が集まって、あんパンを楽しみながら、街の人がゆるやかにつながっていく。そんなきっかけになればいいなと思っていて、今回、地域の子ども食堂にあんぱんを配るというところとセットにして、このイベントをさせていただいた」
そう話した後に、こんな願いも口にした。
「パン食い競争が話題になって、イベントが継続できれば、全国の各地域でパン屋さんが地元小学校と一緒になって、パン食い競走やって、そのエリアの子どもたちにパンを配る。そして地域ごとに人がつながるきっかけになる仕組みができるのでは」
■統一ルールで世界記録やギネスにも
1869年(明2)に創業し、74年(明7)にあんぱんが誕生。75年4月4日に明治天皇に献上する機会を得たという。
「その時に生まれたのが代表製品の桜あんパン。それからずっと150年くらい、ほぼレシピを変えずにあんパンを作り続けている。150年くらい日本で生まれたあんパン、菓子パンとして長く愛していただいている。それが今回、味わうでなく、楽しむという体験のあんパンの価値というのが生まれたと思います」
参加者が約250人いる中で、木村社長のタイムは全体2位だった。なぜなのか? パンを吊す用具を自社で制作する中で、洗濯挟みの耐過重、吊すひもの長さの最適解を探る中、自ら実験するうちに素早くキャッチするコツをつかんだのだという。
今後も同じ規格品を使用すれば、共通ルールの中でやれば公式タイムが取れる。つまり今回のパン食い競走が世界へ広がれば、世界記録やギネス記録にも挑戦できるイベントとなる。主催者2人は、そんな夢も思い描いている。
■5月半ばに能登で運動会を予定
為末さんはさっそく、このパン食い競走を大地震で被災した能登でも実施する予定だ。
「運動場が全部、仮設住宅になった。運動場がなくなっているというのを先週現地に行って、聞いてきました。運動会のニーズがあるので、そこでパン食い競争をメインにしてやったらおもしろいかなと。もうすぐ水道も復旧するいいタイミングなので、5月半ばくらいに考えています」
スポーツがもたらす明るさを実感した一日。日本橋の通りに咲き誇る桜もまた、爽快感をパッと後押ししてくれた。【佐藤隆志】