プロレスラー、政治家として活躍したアントニオ猪木さんが亡くなった。北朝鮮を訪問し続けるなど型破りな行動で知られた。力を入れていた「スポーツ外交」とは、どういうものだったのか? 今から9年前の2013年5月20日、元陸上選手の為末大さんと対談し、自らの考えを余すことなく語った。その直後に猪木さんが参院選への出馬を表明したことから、選挙運動への影響を考慮して掲載は見送りとなっていた。生前の功績をしのび、当時のインタビューを公開したい。全4回の3回目。【構成=佐藤隆志】
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為末 僕が小学生の時って、猪木さんはもう猪木さんになっていた。どのくらいのタイミングで自分が、社会の中で大きな存在になっていたのですか?
猪木 そうですね、もう20歳の時ですかね。17でプロの世界に入って、力道山が(私が)20歳の時に亡くなりますから。23歳から独立していくんですが、それも宿命というか天命みたいなところがありますね。振り返ってみると。こうしたいという思いがひとつあって、欲望というのがそこについてくる。
為末 その時の欲望というのは一番強くなりたいという?
猪木 それはもちろん。アメリカでもチャンピオンになりましたから。タッグで。若くして、そういう意味では脚光を浴びてました。まあ使われるのが嫌だというところから興行会社を起こして、結果的に破産して、いろいろ挫折も味わったんですけど。行動していると思った通りに割と実現してしまう。不思議な感じはありますね。
為末 そういうのって運なんでしょうか。天命っていうんでしょうか。
猪木 1つには持って生まれたもの、強運ですね。これだけの体がなければ、いくら頑張っても無理ですよね。体格がなければレスラーとしては大成できない。それだけの恵まれた身体に生んでくれたおふくろには感謝しないといけない。あとは夢でしょうね。ブラジルに移民したというのはやっぱり何か大きな夢を求めていたんですね。私はまだ14歳になったばかりで、兄弟たちと夢をよく語ってました。石油王になりたい。牧場王になりたい。とかなんとかみんな王がついている。そういう他愛もない夢を語り合った。でも夢を語るってのはすごい大事なことで、世の中で一番欠落しているでしょう。夢がないわけじゃなくて、夢を語らないからね。
為末 運の部分ともう1つ、姿勢っていうんでしょうか。夢がその姿勢をつくっているんでしょうけど。ある瞬間に1歩前に出ていくのか、立ち止まるのかでだいぶ違ってくる。その時に夢とか野心とかが原動力になるから大事なんだと思うんです。
猪木 そうですね。よく宗教的には「欲をなくせ」っていうけど、欲望って絶対大事だなって。どんな欲望でもいいんですけどね。お金持ちになりたい、世界一になりたい。その欲望が強いか強くないかで執念も変わってくるし。ただ、ある時期になって欲望の形が変わってくる。欲望の姿っていうんでしょうかね。年相応にね。無欲になりたいってのも欲望ですからね。できたら欲望美人というか、美しい姿の方がいいなあ。
為末 僕も現役時代は世界で、日本人が勝負できるんだというのを証明したかったんですね。トラック競技で日本人で勝負したのがいなかったので、最初の人間になりたいし、それはそれになれるということを証明したかった。それは私欲です。でもだんだんその私欲がパブリックな感じになってきた。最初にお話しされたスポーツ外交みたいな、ご自身の野心と夢に、もうちょっと世の中のみんなの夢が入ってきているような気がしたのですが、それは何時ごろから重なっていったんですか?
猪木 当時はプロレスっていうのが蔑視されていた。力道山の時代からプロレスが浸透していく中で、野球、相撲で八百長問題が出ると、その都度、プロレスが引き合いに出されていました。その時の選手たちが「我々はプロレスとは違うんだ」っていうコメントをしてたんですね。どっかに、この野郎っていう思いをいつも持ち続けていた。プロレスを必ずもっとメジャーにしてやる、という闘いなんですね。プロレス内の闘いじゃなくて、相手はプロレス外、社会だった。いつもそういう感じだった。プロレスの中で闘って、それでギャラをもらえばいいっていうのは、オレの場合はいつも違ってた。
為末 社会の中でどうプロレスが活躍できるかとか、社会のどういう問題をプロレスを使って解決できるとかでしょうか?
猪木 いろんな言葉で残っていますが。「やわなヤツは見るな」とか「首根っこつかんでも振り向かせてやる」とかね、いろいろ過激な言葉がありましたけど。要するに、だからそこにエネルギーが出てくる。人をびっくりさせるとか。意表を突くとか。エンターテインメントにはその要素が一番必要なんですね。予想外という。今のプロレスは、予測された中のプロレスっていうのかな。そこに意外性がなかったり。いろんなビデオが出ていますけど、今だに私のが売れるっていうのは、そこの部分なんです。
為末 スポーツというのはオリンピックのような舞台が設定されていてそこで走って熱狂されます。でも引退して1歩引いてみると、ある意味それは舞台であって、劇のような感じもして。もっと引いてみると国と国の問題も、舞台のように感じることがあって。だったら思い切り自分の役割を演じてみようかなと。今はその役割を使って、社会問題を解決するというのに興味があるのですが。
猪木 そうですね、メッセージっていうのは受け手があって。どんなに素晴らしいメッセージを送ったとしても、それを感じる人と感じない人がいる。でも、純粋に受け取ってくれる人がいるから、メッセージというのはすごく大事かと思う。
為末 そのメッセージ性を、こう持てる選手と持てない選手がいる。
猪木 いますよね。
為末 それってどういう…、体験ですかね。何がそこの間を分けているのかなって思うんですけど。
猪木 その人が目指すものでしょ。そこを目指しながら、いろんなものと触れあいながらね。ワインなら熟成していくっていう。熟成した時のワインであれば、非常にいい。香りもいい、味も出している。そこを熟成しないままで終わってしまう人っていうのもいるじゃないですか、進化しない。ある意味、これでいいんだって思わない方が、どっかで妥協する方が楽なんですね。そうじゃないって言えば、また苦しい思いをしなければいけない。
(つづく)